建造物について

基本情報

名称:海瀬家住宅主屋(本資料では「仲屋」と呼称)

構造:木造平屋建、寄棟造り、桟瓦葺(元は茅葺)

年代:江戸後期(少なくとも江戸末期)、昭和4年ごろに屋根を瓦に葺き替え

※令和5年3月の文化審議会で、国登録有形文化財への答申がなされ、官報告示を待っています。

建築年代は、オクザシキの長押留釘に巻頭の和釘が使用されていることから、江戸時代末期(築160年以上)は確実と考えられますが、棟札が見つかっていないため正確な年代はわかっていません。民俗分野の調査では、ナカイに打ち付けられた大山講の札から、建築は18世紀末にさかのぼる可能性(築220年以上)が指摘されています。

和釘

ナカイの大山講の札(非公開)

建物は木造平屋建、寄棟造りの桟瓦葺きで、煙を逃がすための越屋根が載っています。勝手口が向かって右側にあり、左手に部屋が6つ配された、北伊豆地域の名主階層の住宅にみられる大きな農家住宅です。屋根はもともと茅葺で、昭和4年頃に瓦に葺き替えられましたが、建物の基本的な骨組みはそのままとなっていて、土間が吹き抜けとなっているため、ここから小屋組がよく観察できます。

骨組み

小屋組は和小屋とし、柱頭に縦横に梁を掛け、小屋梁は折置きに側桁または二ノ母屋を受け、下屋は繋梁で出しています。小屋束は貫を通さず梁に枘建ちとし、二重梁、繋ぎ梁を受け、さらに棟束及び小屋束を建て、それぞれ棟木・母屋を受けています。棟木・母屋・側桁には角材の垂木を掛け、野地板を張っています。瓦に葺き替えた際も古い小屋組を利用しているため、瓦葺きとしては急な勾配の屋根となっています。

内部は右手に土間や台所、左手に前後2列6室を配した居室部とし、居室部の周縁には縁を回しています。居室部表側は土間側から、マエザシキ、ナカザシキ、オクザシキが配され、奥側はナカイ・マエナンド・オクナンドが配されています。

マエザシキからナカザシキ・オクザシキを望む

ナカザシキ・マエザシキの縁側

今回公開する「ザシキ」は普段は使用されることが少ない公的な空間で、特別な機会にのみ使用されていました。特に、河内の天王祭ではオクザシキに神輿が据えられて、ナカザシキで神楽が舞われ、観客はマエザシキに座るという、民俗芸能の舞台にもなっています。なお、河内の天王祭は、コロナ禍を経て今年7月16日に3年ぶりに開催されました。

なお、最も格式の高いオクザシキには床の間と棚があり、棚の裏には未利用の空間があることから「殿様のお付きの人が入る隠し部屋がある」という伝承がつたわっています。

オクザシキ